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商店街オタク

Author:商店街オタク
商店街が大好きです。日本全国の商店街を歩いている商店街オタクです。歩いてるっていっても旅行のついでに商店街もちょいとのぞくってスタイルですが。繁盛商店街もシャッター商店街も愛すべき商店街であることは同じです。日本の商店街の魅力を紹介していきます。内祝い米の間瀬木商店の間瀬木績(愛知県豊川市の米屋です) masegi1@yahoo.co.jp


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カワイイとは

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赤ちゃん米は、
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カワイイね!
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作った自分が言うのもなんだけどw
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赤ちゃん米の受注がありました!

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うれPよ!

これが手作りで出来る人って、
知ってる限りでは、世界で5人はいないんですよ。
(つまり日本で5人って意味だけどw)

東京歌舞伎町商店街 46

歌舞伎町には2?3回行ったことがあります。
風俗と飲食店が多く、
特に強引な客引きにムカムカした記憶しかありません。
態度のでかい大学生や飲んだくれのサラリーマンにも
ムカついたっけな。

まあ、よほどのことがない限り
2度と行くことはないでしょう。

何もないつまらない場所です。

岩手県花巻市末広商店街 45

DSC01392.jpg
去年の9月19日、宮沢賢治がひろめたお米「陸羽132号」を
日本で唯一栽培している農家さんの田んぼを訪ねるため
岩手県花巻市に行ってきました。

そのついでに、花巻駅前にある末広商店街を歩いてきました。
味わいのあるレトロな商店街でした。
意識してレトロにしているんじゃなく自然とレトロになっているところがいいです。

DSC01386-1.jpg
末広商店街には、宮沢賢治の母親の実家であり、生誕の家「宮沢商店」があります。
かなりの大きなお店です。
奥行きは100m以上あります。
DSC01389.jpg
戦前戦後と地元ではかなりの豪商であったようです。
賢治には貧しいイメージがあると思うのですが、
意外とセレブだったのかもしれませんw。

宮沢賢治は結婚していなかったので子供はいないのですが、
弟の清六さんの家系が宮沢家を継ぎ、現在でも花巻市ではかなりの実力者です。
(清六さんのお孫さんにはお会いしてきましたよ)

花巻市、そして末広商店街もそうですが、
どうも宮沢賢治で持っているような気がしました。
気がしたというか、確実に賢治でもっていると思いました。
すごかったです、賢治。
(聞くところによると本当に花巻市の経済は宮沢家で持っているそうです)

DSC01375-1.jpg
ちなみに、この田んぼで陸羽132号は作られています。
実際、宮沢賢治自身がこの田んぼに来て農業指導をしたこともあるんですよ。



奈良県桜井市まきむく駅前商店会 44

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2010年1月2日に卑弥呼の邪馬台国の可能性のある纏向遺跡に行ってきました。
奈良県桜井市のJR巻向駅のすぐ隣にありました。
すごーく、わかりにくいところに遺跡はあった上、
12月15日に遺跡は埋められたということで、
単なる空き地としか見えなかったです、纏向遺跡w。
見た目はね。

巻向駅前って、ごく普通の地方のごく普通の駅前なんです。
そんな普通な場所に、
約1800年前、ここに卑弥呼がいて邪馬台国を動かし、古代日本を動かしていたと想像すると
自分の中の日本人の魂の奥の奥の奥の何かが熱くなりますね。
日本の国家としての夜明けだった場所かもしれない纏向遺跡。
多くの人の祈りや願い、生と死…
その原点だったかもしれない場所に立っていると
歴史ロマンを自然と感じてしまいますね。

で、巻向駅前商店会ですが、
写真の右に線路の電線がありますね。
それの向こう側にあります。
線路と平行して商店会が並んでいます。

正確に言いますと、
巻向駅前商店会という名称の商店会は存在しません。
僕が勝手に便宜的につけただけですw。
一応、商店が並んでいるので、さほど問題ないでしょう。

歩いた感想はと言いますと、
ごく普通の地方の駅前でして、それ以上でもなくそれ以下でもなく
その意味で”らしさ”があります。

*白い女性が立っている一帯が纏向遺跡です。

豊橋駅前でサーフィンの新年会

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サーフィン仲間と新年会を豊橋駅前でしてきました。
ケイソンさんのライブ新年会でした。
とても雰囲気が良かったです。

名古屋、大須商店街 43

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名古屋で一番有名な商店街の大須商店街。
実は昨年、初めて訪れました。
それ以来、ハマって何度か行きました。
なぜ有名なのか、行ったらわかります。
”ごった煮”なんですね。

大須観音と万松寺を中心とした典型的なアーケード商店街ですが、
裏通りを歩くと、洒落た古着屋やカフェなどがあり、
古いものと新しいもの、異国情緒たっぷりの外人の店など、
ごった煮であるのです。

オタク、おじいおばあ、メイド、ヤンキ―、オシャレな若者、おっさんおばさん、外人…
ありとあらゆる人が、のんきに歩いてる街が大須商店街なんです。
居心地が極めて良いですね。

比較対象の商店街は、東京の浅草や大阪の心斎橋があげられるでしょうが、
どちらとも似て非なるのが大須商店街です。
もっと、ぐ???っと庶民的ですね、大須は。

wikiで見ると、
大須は、江戸時代の名古屋開府と同時に誕生したそうです。
遊郭があった時期もあったそうです。
戦後、お客が栄に流れ1970年代頃は、一時寂れかけたそうです。
しかーし!
大須は、再生し現在”大活況”しています。
再生を遂げたということが、
全国的に事例がほとんどなく、その意味でものすごく稀有な商店街になります。

再生のキーワードは、
小規模商店を積極的に商店街に取り入れていった
ことだそうです。

本当に素晴らしい商店街で、全国のみならず世界に誇れる大須商店街です。
いっぺんよりゃ?せ!

☆☆☆☆☆

TPP

1858年江戸幕府が日米修好通商条約(不平等条約)を締結。
治外法権は、日清戦争後の1899年に陸奥宗光らの努力により失効。
関税自主権は、日露戦争後の1911年に小村寿太郎らにより回復。

治外法権の撤廃まで日清戦争を経て40年
関税自主権の回復まで日露戦争を経て50年

条約の改正や撤廃は、
このように戦争も含めたとても困難な壁を乗り越えなければいけないのが歴史の教訓である。

TPPに参加する、つまり関税自主権の放棄なわけです。

ハンドルとブレーキのない車に乗るようなものです。
国家運営を自主的に放棄するのと同じことです、
経団連とアメリカのために。
すなわち、一部の大手企業のために、国を売るってことです。
(ちなみに、関税自主権を放棄している国なんて世界に存在しません)

韓国が結ぼうとしている韓米FTAに触発されてか朝日や大手マスコミ、経団連は自由貿易を声高に叫んでいる。
自由貿易とは、関税自主権の放棄にほかならない。
また一時的なブームなイデオロギー(新自由主義)である。
最近、世界銀行でさえ、規制緩和や自由貿易を批判し始めている。
インチキな自由貿易推進論者に騙されてはいけない。

大阪、枚方招提団地商店街 42

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去年、大阪の友達の米屋さんのイベントの手伝いに行きました。
枚方の招提(しょうだい)団地商店街にあるお米屋さんです。

招提団地商店街、私は初めて行ったのですが、第一印象は映画ALWAYSの世界そのものだわ、ですw。
ALWAYSは30年代の世界ですが、
招提団地商店街は、昭和40年代の世界が色濃くありました。
実際、招提団地も招提団地商店街も昭和48年に建設されたそうです。
当時は、日本全国で市営&県営住宅建設ラッシュでしたから、時流に確実に乗っていた商店街だったのでしょう。

この招提団地商店街の面白さは、雰囲気もそうですが、
なんといっても、「陸の孤島」状態であるということです。
この商店街に団地以外の人が足を踏み入れることは、ほぼないのです。
なぜなら、周囲を幾重もの団地に囲まれ、その中心に位置するため、
その存在すら部外者にはわからないからです。
またそれゆえに、商店街利用者はおのずと団地に住んでいる人だけとなりますが。

団地の人は商店街を利用し、商店街も団地の人の役に立っている。
持ちつ持たれつの完結した関係がここにはあります。
素晴らしいです。
感動的です。

一般論から言いますと、
この手の商店街は、ほぼ例外なく衰退や撤退や閉鎖の憂き目にあっているのが現状だと思いますが、
偶然の奇跡とかしか言いようのない
まっとうな正常な商店街のあるべき姿が、
昭和40年代からタイムスリップした状態で現存します。

というわけで、
かなり珍しいタイプの商店街です。
名付けて「陸の孤島のガラパゴス商店街」というのはどうでしょう?

☆☆☆☆☆


DSC01034-1.jpg
団地の人が大勢来てくれて、イベントは大成功でした!
DSC01042.jpg
カワイイ女の子たちも手伝いに来てくれてました。
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団地に囲まれているって、なんとなくわかりますよね?
(日曜なので他のお店は休みでした)

秋田駅前広小路商店街 41

http://surflove1.blog66.fc2.com/blog-entry-27.html

以前、記事にした秋田駅前広小路商店街。
書いた時、私は☆☆☆☆☆と素晴らしい商店街だとしました。

がー


商店街振興組合が昨年の2010年7月頃に解散!してしまったそうです。

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-708.html
↑その記事。

009964.jpg
かつての秋田駅前広小路商店街。
どこの商店街でも栄光の時代はあります。
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現在の商店街。

私個人としては、シャッター商店街も、それはそれで味わい深く好きなんですね。
でも、まあ、なにかと商店街を維持していくには金がかかるので、
それも解散理由のひとつということらしい。

また商店街振興組合の解散と機を同じくして秋田駅前のイトーヨーカドーも撤退を決めたそう。
ヨ―カド―跡には、別のスーパーの入店が決まっているそうだけど、
なんか…完全に腰砕けです。

商店街がどこも苦しいのは日本全国どこも共通した悩みだと思うんですが、
この秋田駅前広小路商店街解散については、
ちょっと、かなり問題があります。

それは、県庁所在地にある商店街で”初の解散”だということです。
近くには県庁もテレビ局も新聞社もあり、地元の住民も多く住んでいるというのに、
なぜ、再生や活性化の努力をせず放置したのか、という問題です。

日本には秋田駅前より条件の悪い商店街は山ほどあります。
中山間地など、人口も少なく人通りも少ない商店街は山ほどあります。

私から見ると秋田駅前商店街は、
すごく魅力のある街にみえました。
潜在的なポテンシャルの高さを感じてました。

解散の理由は、秋田の商店主が怠惰であったり阿呆だったからではないでしょう。
大潟村の農家の皆さんのように非常に先進的な取り組みをしている方が多い土地柄なので、
自己責任とかの安っぽい理由ではないはずです。

理由は、
「行政の怠慢」でしょう。
魅力ある街作りをしようという意識が行政になかったのが、(またはサポートがなかった)
最大の理由でありましょう。

商店街とは、商店主だけで成り立つものではなく、
行政や地元住民の協力なくしては存在できないものですから。

なんか悲劇的です。

海外の商店街で一番すごいなって思ったのは、

やっぱ、イングランドのリバプール。

イギリスって、
昼の部の商店は、だいたい5時頃に終了して、
夜の部の商店に変わりますよね。


で、リバプールのすごいのは、
昼はたいしたことないけど、
夜になると街全体(リバプールの中心商店街の辺だけだけど)が
クラブというかディスコ状態になるんです。
日本でいったら祭りっぽくなるんです。


たまたま行った時が、そうだっただけかもしれないけど…^^;

日本の商店街の数

約1万2千あります。
で、毎年200ずつ減ってるらしいです。
(と、何かの本に書いてありましたw ま、実際、そんな感じだと僕も思います)


ですが、
個店の場合、廃業すれば減っているとはっきりわかりますが、
商店街の場合、完璧なゴースト商店街なんてほぼないだろうから
「200ずつ減っている」とは何をもって消失と決定づけているのか、そこは謎w

キーボードに

お茶をぶちまけてしまった

なんと!

このブログを読んで下さっていた方がいた!

ちょっと真剣に書き始めようかな、

と心改めますたw
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